2015-11-19

倉敷・須浪亨商店の5代目がつくる「いぐさのかご」

先週は、岡山の倉敷を訪れていました。
今から二か月ほど前のこと。とてもうれしい連絡があったのです。

倉敷で130年近い歴史をもつ「須浪亨商店」は、国内で唯一の
「いぐさかご」の生産を行っています。

しかし、その作り手さんといえば、ご高齢のおばあちゃんがただ一人の状況。
ぼくは年に一度、その工房にお邪魔しているのですが、熟練の手業により
次々とかごを編んでいく作業を間近で見れるのを、毎年楽しみにしていました。

専用の折り機を使用します
 

 縁と持ち手はすべて手作業。
冬場は特に、たいへんな作業です。

その時に、何度かお会いしていたのが、お孫さんである隆貴さん。
昨年までは、デザイン学校に通う学生さんでしたが、今年の秋のはじめに
「祖母の跡を継ぐことを決断しました」と手紙で報告をしてくれたのでした。

5代目となり、すこし大人の表情を見せる隆貴くんと、あれこれ心配しつつも
うれしそうに見つめるおばあちゃんの姿は、とてもほほえましいものでした。

 
須浪亨商店の「いかご」の伝統を、今日まで守ることができたのは、
隆貴さんの祖母である栄さんの努力によるものでした。

3代目だったご主人は、ご高齢もあってしばらく前に引退しており、
4代目として活躍していた隆貴さんのお父さんは、早すぎる年齢で
世を去られてしまいました。
一時は廃業も考えたという栄さんでしたが、その後も時間を工面
しながら「いかご」の製作を続けていきました。

昔と変わらぬ佇まいを残す、栄さんの「いかご」は、地元だけでなく、
全国からも注文が寄せられる人気がありましたが、体力的にも年々
きびしい状況になりつつありました。

そのような中、もともとモノづくりが好きで、デザイン系の
専門学校を卒業したばかりの隆貴さんが、おばあちゃんの技を学び、
跡を継いでいくことを決意したのです。


新たに5代目となった隆貴さんのいかごと、今後の活動に
ぜひご注目いただければと思います!

2015-11-15

神戸のフクギドウさんで「世界のかご展」がスタートしました!

13日より、神戸の六甲にある「器 暮らしの道具 フクギドウ」さんでの
『世界のかご展』がスタートしました。


いつもは、国内の器を中心に扱っているフクギドウさんの店内ですが、
期間中の店内は、かごの展開のみ。
国内外の130種・200点ほどのかごを、所狭しと並べていただいております。

ぼくは、初日と2日目に在店をさせていただいたのですが、たくさんの方々に
ご来店をいただきまして、とてもうれしく思っております。
 
開店直後は、赤ちゃんやちいさなお子さんをお連れのお客様が目立ち、
子育て世代のおかあさんたちが、とても関心を持っていただいているよう
に感じました。また、日頃ネットショップをご利用いただいている近隣の方や、
大坂や奈良、岡山など近県のお客様もいらっしゃたりと、たくさんの方と
はじめましてのご挨拶ができました。

六甲には、おいしいお店もたくさんあります。
なんとお隣の「月森」さんは、開店前を待つお客様がいるほどの人気の喫茶店。
特に、ホットケーキは注文が入ってから、生地作りをはじめるほどこだわりに、
遠方からのファンが来られるのだとか。僕も二日連続で、お邪魔しちゃいました。
表面がかりっと香ばしく、中はふっくらの焼き加減が絶妙。
これまでのホットケーキのイメージが、ガラッと変わってしまうほどの逸品でした!



夜は、フクギドウのオーナーさんと一緒に、三宮の「いたぎ屋」さんへ。
気さくで仲のよい兄弟二人が切り盛りするお店は、ご両親の育てる有機野菜
を中心としたメニューが豊富な店。なんと、翌日にはかご展にも足を運んで
いただき、お店のカウンターに野菜を並べるかごを探しに来てくれたのでした!

宮城の肥料かご&野菜
 
こだわりをもったお店と、そこに集う人々の有機的な広がり。
六甲には、魅力的な町の要素がギュギュっと詰まっているのを、実感した
機会となりました。

『世界のかご展』は、21日(土)まで休まず開催しています。
期間中は、追加の製品もありますので、ぜひこの機会にお立ち寄りください。

いとう



【国立店より】ペリゴール地方のかご

こんにちは。
国立は朝の曇り空から徐々に青空が見えてきました。
日差しもあたたかくなってきているので、今日はお出かけ日和になりそうです。

さて、今回はフランスの南西部、ぺリゴール地方のかごをご紹介します。



ヤナギの枝を、中心部からぐるぐるとらせん状に編み上げていくつくりは
フランスの中でも、この地方だけに見られる独特の技法。
どの角度から見ても、きれいな曲線が目に入ります。

今日はりんごと組み合わせてみました。

旬のくだものをこのかごと合わせると、ふだん見すごしている
くだものの色や形、美しさが引き出されるような気がします。

舌で味わう前に、目で楽しむ時間を生んでくれるかご。
ぜひさまざまなフルーツで試してみてください。

スタッフ 喜世

2015-11-06

【宮古の横田かご 2】鈴木利雄さんとの出会い


<鈴木利雄さんとの出会い>

岩手の宮古市に、昔ながら浜のかごをつくっている人がいることを
僕たちに教えてくれたのは、岩手県タイマグラ在住の安部智穂さんでした。

早速、横田かごの作り手である鈴木利雄さんを訪ねて宮古に足を
はこんだのは、いまから6年ほど前のこと。

それは、大きくて、頑丈で、男前なカ強さがある、道具そのもの
といった印象のかごでした。
同時に、どこか優しくておおらかさもあり、鈴木のおじいちゃんに
よく似た雰囲気をもっていました。


 
何メートルもある竹ひごを勢いよく回しながら、あれよという間に
大きな竹かごが仕上がっていく様子に目を丸くし、
この日以来、家族でお付き合いをさせていただくようになったのでした。

はじめておじゃました日。
横田かごの製作をみせてもらいました。
 
しかし、鈴木さんご一家は東日本大震災により被災。
ご自宅は高台にあるため直接の被害は免れましたが、津波によって
大事なご家族の一人を失ってしまいます。
奥様やご家族とともに、本当に辛い毎日を過ごされていたことと思いますが、
「ずっと落ち込んでいたままでは、叱られてしまうからなあ。」と言って、
その後一月ほどが経った頃、たくさんの横田かごが届けられたときは
本当に驚きました。

しかし、翌年には体調をくずされてしまい、本格的なかごづくりは
この年に引退されたのでした。

それからも、東北に行く際はご自宅を訪れるようにしていましたが、
通院や入院のため不在のことも多く、病院のベッドを見舞ったことも
ありました。そして、どんな時でも話題といえば、やはり横田かごのこと。
かごづくりをほんとうに楽しんでいた鈴木さんはいつも
「またかごをつくりたいなあ」と話していましたが、全身の力をつかって
編みあげていく横田かごを、ふたたびつくることは、
僕はもうむずかしいのでは と考えていました。

2012年春。竹の切り出しの様子も見せてもらいました


2014年春。かごづくりを引退した後も
ずっと手入れを欠かさない、横田かごの七つ道具

<元気な証拠>

今年の夏のある朝のこと。
地方を旅していたとき、めずらしく興奮した声の妻から電話がありました。
「鈴木のおじいちゃんからかごが届いた!」

おどろいてすぐに連絡をしたところ、
「このところ、すこしからだの調子がよくてね、娘婿を連れて竹取りに
行ってきたんだよ。それで早速、いくつか作ってみたんだ。受け取ってね。」
との明るい声。

今年81歳を迎えた鈴木さんいわく、「かごが作れるのは元気な証拠」。

とはいうものの、体調を心配する奥様はもちろん反対されました。
そこで、一日の作業時間を二時間までと決め、決して身体に負担を
かけないよう約束して、おそるおそる作業をはじめたそうです。

きっと、これまでにない不安の中、いつもの数倍もの時間をかけて
つくっていただいたことと思います。同時に、鈴木さんのつくった横田かごを
受け取れるのは、これが最後になるかもしれない、そう実感したのでした。

今回、受け取ったかごをどのように扱ったらよいのか? しばらく考える時間が
必要でした。鈴木さんも「伊藤さんの好きにしてください」との一言。

東北沿岸部に伝わってきた貴重な手仕事として、販売ではないかたちで
活用できる方法を考えていた時期もありましたが、宮古に生きた一人の
かご職人、そして消えゆこうとしている「横田かご」の存在を知ってもらえる
最後の機会になるのだとすれば、やはりできるだけ多くのみなさんに、みて、
さわって、つかってもらうことが、一番大切なのではないかと思いいたりました。

そのようなわけで今回は、幅広い皆さまにご応募を検討いただけるよう、
申し込み期間を設けて販売させていただくことにしました。

※ 受付は、2015年11月13日をもって締め切らせていただきました。
   合計で180人以上の方々にお申し込みをいただく結果となりました。
   たくさんのご応募をありがとうございました。

鈴木利雄さん。いつも仲のよい奥様と

2015-11-05

【宮古の横田かご 1】港で活躍する魚かご


国内有数のさんまの漁獲量で知られる岩手県・宮古の漁港で、
魚の運搬に活躍していた「横田かご」。

 
 
その全盛期は、昭和の前半のことでした。
地元では「万丈(ばんじょう)かご」ともよばれ、三陸の漁業が盛んな
地域では必要不可欠なものでした。

終戦後に漁業が成長期を迎えるとともに、宮古で竹細工店を営んでいた
鈴木利雄さんの家には大量の注文が入り、十数人もの職人さんを抱えて
大忙しの毎日を過ごしていたそうです。

周辺には、当時13軒もの竹細工店がしのぎを削り、年間1万5千個以上の
横田かごを港に供給していた時代でした。

父が営む竹細工店の長男だった鈴木さんがその跡を継いだのは、
ごく自然な流れだったといいます。まだ10代の後半だった一人の青年は、
父の働き方や、寝食をともにするベテランの職人さんの技をよく観察し、
一人前の職人になっていきました。

 当時の注文台帳。

職人としてのノルマは、一日で最低7個の横田かごをつくること。
作業は一本の竹を割ることからはじまるので、漁の最盛期が近づいてくると
明け方から夜中まで仕事が続いたそうです。

大型冷蔵庫用のかご、加工場での塩ふりかご、
はえなわやカジキ漁、アナゴの仕掛けかご、
畜産業者からの「ぶたかご」の注文も。
横田かごに限らず、さまざまなかごの需要がありました
 

 職人さんたちと


しかし、昭和の40年代に入るとプラスチック製品の台頭によって需要は激減。
一緒に働いていた職人たちも他の仕事を求め、姿を消していきました。

最後に残った鈴木さんも家族を養うため、会社勤めをはじめるのですが、
かご職人としての仕事を完全に手放すことについては、その後も抵抗を
続けていきます。

日中の会社勤めが終わると、夜中まで竹籠をつくり、夫婦で行商を続ける
生活がはじまりました。港での需要は無くなってしまいましたが、農作業や
山仕事で必要とする人々がまだいると思ったのです。
そこで、週末になると農村部まで足を運び、「横田かごはいりませんか?」
と、一軒一軒農家さんを訪ねてまわるようになりました。

それまでは、かごづくり一辺倒だった鈴木さんでしたが、
「自分のかごを使ってくれる人と、直接話せることが楽しくて楽しくて。
いろいろ苦労した時代だったけど、毎日充実していて、一番楽しかった
時期かもしれないなあ。」 
と笑って話してくれました。

当時は、サンマをまとめて買うと一緒についてくるような存在だった
こともあり、地元ではあまり愛着をもって使う人がすくなかったのだと
思います。

そう考えると、野菜の収穫や運搬に、かごを愛用する農家さんたちとの
直接の触れ合いは、これまで鈴木さんがあまり経験したことが無かった
作り手としての喜びを、あらたに感じた時間だったのかもしれません。

元祖横田かごはこの大きさ
縁巻きには針金を使っていました。

さて、当時の横田かごといえば、東北では貴重とされる材料の真竹を無駄なく
使用するため、竹の内側(肉)も使う特徴があります。
表面の皮だけを使用する現在のタイプは、鈴木さん曰く「高級・特別仕様!」
ということになります。

そして、なぜ「横田」という名前なのかというと、陸前高田市の内陸部に横田と
いう地名があり、ここが質のよい竹の産地だったことがその名の由来になった
のではと思われます。
(11/8 追記: 陸前高田では、主にわかめの収穫に使用していたという、
お客様からの情報もいただきました)

【宮古の横田かご 2】鈴木利雄さんとの出会い  につづく

2015-11-01

【国立店より】「funagoya」受注販売会が終了しました

ハロウィンも終わって11月になりましたね。
国立では、今日から3日まで天下市というお祭りが開催されています。
ずらりと屋台が並び、見ているだけでわくわくします!

さて、フィッシャーマンズニット「funagoya」の受注販売会も本日で終了となりました。
会期中はたくさんのお客様にご来店いただき、本当にありがとうございました。


ニットを編む牡鹿のお母さんたちを思い浮かべながら、試着されたお客様の笑顔を見ると気持ちまであたたかくなる企画でした。

今後の「funagoya」の活動にもご注目いただければ幸いです。

スタッフ 喜世