2017-11-16

富山県氷見市論田・熊無の「藤箕」

先日、東京文化財研究所で行われた「箕サミット」では、富山県
氷見市で「藤箕」づくりを行っている坂口忠範さんも実演されていました!


お会いするのが、約一年ぶり。
ちょうど昨年末、富山県氷見市論田・熊無の「藤箕」づくりを紹介する
冊子
づくりのために、現地を訪ねてきました。


「藤箕のなやみ」となづけた小冊子


そのとき、取材のためにお世話になったのが「藤箕づくり技術保存会」の会長である坂口忠範さんでした。
材料採りから素材の加工、箕の完成までを見学するため、坂口さんを
二日間を追いかけ、すべての行程を見学させていただきました。

藤箕の里、熊無・論田地区の棚田

「藤箕」の産地となる論田・熊無は、氷見市の西部に位置し、
石川県との県境に位置する二つの集落です。
この地での箕づくりは、
室町時代から
600年以上続いてきた長い歴史をもちます。

2012年にその技術的な価値が認められ、国の「重要無形民族文化財」に
指定されますが、その当時箕づくりを行っていたのはわずか数軒のみ。
70~90歳代の作り手が中心で、新たな
後継者もあらわれない現状から、
うれしいニュースであると同時に、今後の存続
に対する責任の重さも
感じたそうです。

「藤箕」の名は、フジヅル(藤の蔓)を挟み織っていることに由来。
フジの強い繊維を使用することから、軽量で耐久性に優れています。


持ち手部分には、ニセアカシア(またはヤマウルシ)を用い、叩いて
柔らかくしたフジとタケ(矢竹)を組み合わせたものが「平箕」と
よばれる本体部分となります。また、口先の部分が割れるのを防ぐため、
ヤマザクラの樹皮を補強に
使います。

まずは、この4つの素材を山から採取することが、とてもたいへんな
作業になりますが、この地域での箕づくりはすべて
工程を一人で行うのが
基本。分業は作業の効率化や専門性を活かす
ことができますが、
一名でもかけてしまうと箕づくりができなく
なってしまうことから、
古くから一戸ごとの生産を行ってきたと
いうことです。


坂口さんは会長になられたのは、一年ほど前から。
そのきっかけを伺ってみると、この地域で藤箕づくりができる
作り手さんが、いよいよ80代~90年歳代のご高齢となり、他に
箕づくりができそうな後継者がいないか探していたところ、
声を掛けられたのが坂口さんでした。



しかし、実際に坂口さんが箕づくりを体験していたのは、今から50年以上
前のこと。外で働きはじめる前に家業を手伝っていた10代の頃でした。
再び藤箕づくりに挑戦してみたところ、なんとまだその作り方を身体が
覚えていたの
そうです。

「本当は、藤箕づくりが大好きなわけじゃない。箕づくり以外のことも
したいけれど、この土地で600年の歴史がある箕づくりの伝統を次の代に
つなげられるまで、それまでなんとか会長の仕事をやるしかない。」
と語ってくれました。



そして、もう一つの大きな問題は「使い手」の減少です。

農家さんの減少や農業の機械化などにより、需要は激減してきています。
昭和のはじめから30年代後半まで、年間10万枚近い数を産出してきましたが、
現在、実用として必要とされているのはわずか100枚程度。
そのほとんどの注文は、地元からによるものではなく、北海道のジャガイモ
農家さん向けに
つくられているというのが実情です。

そこで取材を終えた後、坂口さんにお願いをしました。
昔ながらの農具としての存在に、藤箕の本来の価値と魅力があるのだと思いますが、その技術を存続するためにも、現代の暮らしに取り込めそうな
新しいものづくりを、今後の活動の一部に取り入れてもらうことが
できないか、相談させていただいたのでした。

お願いしたのは、箕の形をアレンジした「かご」の製作ですが、
その数週間後、なんとか試作品ができたよとの連絡がありました。


お店のカウンターで使っています。

想像以上の出来栄えに驚きつつ、試行錯誤してがんばってくれている
坂口さんの姿が浮かんできました。まだ量産できる状況ではありませんが、
できるだけお客様にも見ていただきながら感想をあつめ、完成品に
近づけられたらと思っています。

訪問した記事を担当させていただきました

今の暮らしにあうように変えすぎてしまっては、箕ではなくなってしまうし、
でもそのままでは存続していくのはむずかしい。そのバランス感覚が難しい
ところですが、これまでの伝統的な箕づくりとともに、これからの将来に
つながる可能性の一つとして、今後も取り組みを続けていきたいと思って
います。